2016年2月10日水曜日

H.ヴィエニャフスキ:モスクワの思い出



エルマン(37年、オーパス蔵)

モスクワの思い出の代表盤(と勝手に思っている)である。この頃のエルマンはほんとにうまい(後年になると弾き間違えているのか譜読みしているのかわからないような演奏になってしまうが笑)。音質も電気録音にバリバリ入っている37年なので割と聞きやすくて良い(オーパス蔵の復刻お見事!)。カデンツァなどはばっさりカットしているが(当時の録音環境だと仕方ないだろう)、個人的にはこの曲はカデンツァなしでいきなり赤いサラファンのメロディーに入ったほうが好き。エルマンの人懐っこい美音が楽しめるし、ルバートやポルタメントもばっちり決まっていてうまい。伴奏のピアノもぴったりエルマンにつけていてお上手〜。

メニューイン(36年、EMI)

若い頃のメニューインの録音。エルマンもびっくりするほど、ロマンチックな表現に溢れている。これは録音年代の制約にも関わらずカデンツァまですべて収録されているのがすごい。それにしてもメニューインの音色がやっぱりいい。こんな音色だすヴァイオリニスト現代にいる??エルマンとメニューインがモスクワの思い出の2大名盤だと思う。

グレゴロヴィッチ(1909年、Testament)

ここからはだいぶ年代が古くなります。アコースティック録音時代に録られたもので音質は貧しいですが、このグレゴロヴィッチの演奏もなかなか粋です。

キロガ(1912年、グリーンドア)

イザイの無伴奏ヴァイオリンソナタの被献呈者でもあるキロガ。もっと評価されてもいいヴァイオリニストですよ。このモスクワの思い出はエルマンとかに比べればあまりぱっとしない向きもあるけど、このCDに併録されているサラサーテやバッジーニ、シューマンのロマンス、レハールのフラスキータセレナーデなどほんと超絶の名演。これの曲については追って紹介したいです。

エルマン(1910年、ビダルフ)

エルマンの旧盤。こちらのほうが評価がいいっぽいので、あちこちの中古屋やヤフオクを数年間探し回ってやっと入手したCD。ビダルフってもうほとんどが廃盤なんですよ、だから入手はかなり難しいんです。でも、やっぱぼくは37年の新盤のほうが好きです。

CD-R盤のため画像なし
ヴェチェイ(1911年、CD-R盤)

ヴェチェイって、あの悲しみのワルツでもお馴染み(?)のあのヴェチェイです。ヤフオクで物色してたらSPからの板起しでCD-Rに入れた手作りCDが販売されていたのでそれを入手。とーっても、強烈なルバートでびっくりします。もう、とーーーっても長く伸ばすところとかあって痛快。

ヤン・クーベリック(1926年、ヤン・クーベリック協会)

ヤン・クーベリックはあの有名な指揮者ラファエル・クーベリックの父親で、彼の若い頃は(1900年頃)は非常にうまくてお気に入りになってたので(ヴィエニャフスキーの田舎まわりのヴァイオリン弾きなど(Testament))、たまたまamazonを眺めてたときに見つけたこのクーベリック協会盤を購入してみた。しかし、このモスクワの思い出は録られたのが1926年で、さすがにおぼつかない足取りでお世辞にもうまいとはいいがたいものだった。いろいろやろうとしているのは分かるけどどれもハマっていない。技巧も衰えたのなら、冒頭のカデンツァはエルマンのようにカットでもよかったんじゃないかと思う。

フランチェスカッティ(40年代, BnF)

フランチェスカッティは、こういうドヤ顔で弾く曲が最も似合う奏者のひとりだと思う。ハーモニクスとパッセージの早い切り替わりのところが技倆が見られて素敵。一つしか紹介できないけど、こういう曲に関しては、てもさんの評価は信用できるよ。←

W.A.モーツァルト:交響曲40番



◎ワルター指揮ウィーンpo(52年、Sony)

ワルターのウィーンフィルとのライブ盤。ワルターはぼくの大好きな指揮者の一人だけど、ハマるきっかけとなったのがこちらの演奏。初めて聞いたときは冒頭からヴァイオリンの一斉ポルタメントにただただ圧倒されて、この曲にこんな解釈が可能だったのかとたちまちワルターの虜になってしまった。ウィーンフィルの官能的な弦の音色も際立っていて、ここに全員一斉のポルタメントが入るのだから、たまんない!まだまだ40番で買ってないCDは山のようにたくさんあるし、未来のことなんて誰もわからないけど、こんな名演奏は過去にも未来にももう二度と現れないと断言できる。古楽勢なんてひと吹きで吹っ飛ぶよ、この演奏聴いたら。ヴァイオリンの音色が好きな人は必聴の演奏で、もうひたすら色っぽいモーツァルトである笑。

◯カラヤン指揮ベルリンpo(70年、EMI)

こちらもまたコテコテの名盤。ヤンカラ先生のお出ましでございます。これは大穴盤にしてもよかったくらいかも。現代のモーツァルト解釈の流行とはまったく逆をゆく、古いけど逆に新しく感じられる演奏。作曲家の意図とか、当時の演奏様式とか完全無視、そんなことは知ったこっちゃない、これはおれの音楽。といった感じで、自信満々なカラヤンの姿が目に浮かぶ。こういう演奏好き。フレーズはすべてレガートでなめらかで、響きは分厚くゴージャス。弦楽器のこの流麗さといったらないし、それこそ氷上の重戦車である(またこの言葉!)。カラヤンはこの曲を何度も録音しているが、厚化粧ぶりでもっとも際立つのがこの70年盤。

◯クレンペラー指揮フィルハーモニアo(62年、EMI)

クレンペラーのモーツァルトは奥が深い。この人は決して耳障りの良い音楽を作る指揮者ではないし、この曲の演奏も一聴したところぶっきらぼうに響くけれど、そこには深い悲しみと情感がこもっている。涙が枯れて泣けないとでも形容したくなるような、見た目以上によくよく聞くと深みのある演奏でこれも捨て難い。それがより顕著に表れているのがこの盤の旧盤(56年)なんだけど、この62年の新盤はその要素にプラスしてちょっとだけ優美さを加えたような演奏。彼にしては珍しく弦楽器の響きが美しく少しだけポルタメントもかかっていて面白い。国内盤と輸入盤で56年盤と62年盤が同一表記でも混在しているっぽいので注意(演奏時間で見ると両者を判別できる)。ワルター、カラヤンと比較的表面的な演奏を挙げてしまったのでちょっと趣向を変えてクレンペラーを挙げてみた次第です笑。


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2016年2月8日月曜日

L.B.ベートーヴェン:ピアノソナタ17番「テンペスト」



◎グルダ(67年、アマデオ)

グルダのベートーヴェン全集からの一枚。デッカ時代の旧盤がバラでよく再発売されるけど、このアマデオの新盤のほうがはるかに出来が良く、とても面白い。演奏は快速テンポでドラマチック。快速テンポと言ってもテクニカルで一直線な演奏ではなく、緩めるところは緩め、押さえるところはばっちり押さえている演奏で、考え抜かれた自然なアゴーギクも相まって、とにかくどの瞬間もビシッとキマッてる。一聴してその強い推進力と、他の演奏を寄せ付けない説得力に満ちた表現に圧倒されてしまう。このベートーヴェン全集におけるグルダの自信というのは半端なかったんだろうなということをうかがわせる名演ですよ、これは。そしてその純度の高さに加えて、この曲のもつロマンチックな要素もしなやかに表現されていて、なんだかとても複雑な味わいを持っている。それにしても、これはピアノを弾く者としての感想だけど、グルダの演奏ってほんとにペダルの使い方が自然。決して教科書的な踏み方はしない。常になめらかに一息で聴かせる踏み方をしていて、豊かな響きを残しながら次々とフレーズを繋げて行くが決して音が濁ることがない。彼の映像を見ればペダルがほんとに複雑な細かい動きをしていて驚いたことがあるくらい。彼のロングトーン(ピアノでロングトーンという言葉を使うのはなんか変だけど)の響きの美しさは他のピアニストでは真似できない純度。話が長くなったけど、グルダのベトソナ全集は絶対にオススメ。

◯ポリーニ(88年、DG)

このポリーニの演奏は、巷では大変な知名度だそうで、よく名盤本などでも上位に上がる演奏。ぼく自身はボリーニの演奏は必ずしも好きな演奏ばかりではないのだけれど、このテンペストは比較的好きな方。グルダを聞いた後に聞くと、ちょっと"ゆるふわ"だなーって思っちゃうけど、これはこれでロマンチックでアリ。3楽章の「ふぁそふぁみ、ふぁそふぁみ、ふぁそふぁみ」のトリルの入れ方がかっこいいー。全体的にもテクニカルで明晰。聞いた後にすっきりとした快感を残す。

◯バックハウス(59-69年、Dec)

やっぱバックハウスは存在感ある。ザ・ベテランといった感じの貫禄のある、無骨で、ま言って見れば「いぶし銀」的な(笑)渋い演奏ではあるけれども、そこからにじみ出るのはやはりロマン派の音楽。ゆっくりとしたテンポも感興のおもむくままに揺れ、その感情の揺らぎから生まれる自由なルバートによって一つ一つ紡ぎ出される雄弁な語り口は、大家の至芸といった感じだ。こんな味わい深くコクがある大人テイストのテンペストはほかにはないと思う。


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2016年2月5日金曜日

E.グリーグ:ピアノソナタ

ずみさん:

◎グールド 71年(Columbia/Sony)

他の全ての録音に喧嘩を売る録音、それがこのグールドのグリーグだ。1楽章の冒頭が、すでにちがう。人々は言う。なんだこのテンポ選択は、と。だが、先入観を取り払ってよく聴いてほしい。執拗に繰り返すテーマの、慟哭にも似た表現を。3楽章を中心に表現を設計していくと、こういう選択になると思う。グールドのグリーグならではの、ピアノ協奏曲かのようなピアノソナタを、ぜひ聴いてほしい。6年来の愛聴盤。ちなみにこれ以外にオススメはないと断言する。少なくとも僕が定額で聴ける範囲にはなかった。

2016年2月4日木曜日

W.A.モーツァルト:ピアノソナタ13番



◎グルダ(77年、Amadeo)

グルダらしいシリアスなモーツァルト。グルダって後年ジャズに手を出したこともあって、一部からはクラシックの本流と見なされない傾向もあったそうで、グルダのモーツァルトは楽しいなどといったコメントもたまに見かけるけど、クラシックに取り組むときの彼はいつもシリアスで、真剣そのもの。決して彼の音楽は明るい楽天的な音楽ではないと思う。そしてそれはモーツァルトも同じ。彼もまた長調の曲を多く書き、短調の曲は非常に少ないけれども、長調の曲こそ短調では表現できない心の内を描き出すのに合っているのではないか。彼の作曲した長調の曲にはどこか影があるように思えてならない。グルダが描き出すモーツァルトはそういった要素がごく自然に、かつストレートに表現されていて快い。落ち着いたテンポと堅めの音色で淡々と演奏しているが、陰影に富んだ音色の微妙なニュアンスの表現や天上の美しさを思わせる弱音の高音(これはかなりの高度なペダルテクニックを要すると思われる)などグルダのエッセンスが詰まった名演。

◯ホロヴィッツ(87年、DG)

ホロヴィッツもまたこの曲を得意としていたそうで、彼の残したモーツァルトのナンバーは偏りがあって有名な8番や15番などは録音がないのに、10番と13番だけは幾種類もの演奏が残っている(ほかに11番や12番も数は少ないけど録音がある)。その13番であるが、冒頭からホロヴィッツの歌が満載で度肝を抜かれる。なんだこの歌うピアノは!!モーツァルトの古典的な音楽が、ホロヴィッツの多彩な音色のパレットによって塗り替えられ、色彩豊かに蘇っている。彼の音色パレットの豊かさには本当に脱帽するし、それを駆使した立体的な表現は、一瞬たりとも気を抜くことができない緊張感と説得力に満ち溢れている。どの瞬間にも驚きの発想が隠されていて聞いていて興味が尽きないし、これは創意工夫の宝庫であると言ってもいい。しかもそれが絶対にわざとらしくならないところが彼の最も偉大なところかもしれない。演奏はこの87年のハンブルクでのライヴの出来が一番良い。同じくDGに入れたスタジオ盤の方は少々乱暴なところもあるが、こちらは彼のやりたいことが最良の形で表現できているのでオススメ。

▲ホロヴィッツ(51年、RCA)

もう一枚ホロヴィッツいくよ。こちらは大穴盤に相応しい若いころのまだエネルギーがありあまっていたころのホロヴィッツの演奏。CDは1,2年前に発売されたカーネギーホールライヴ箱(40枚組)で手に入れた(この51年の演奏は2009年初出とのこと)。若い頃の録音ということもあって、fのところは例によってffかfffくらいに膨れ上がる箇所もあり、モーツァルトなのかラフマニノフなのかわからないような部分も出てくるが(苦笑)、彼のやりたいことは87年盤よりもこちらの方がなんの抵抗もなく表現できていて面白い。音色の変化も千変万化というよりは電光石火のごとく目まぐるしく姿を変えてゆくが、その音色パレットの豊かさは若い当時からずば抜けている。ヒストリックリターン後のほうがより深みのあるニュアンスの表現が目立つようになるが、このころのホロヴィッツも爆音一筋の爆演野郎ではなかったことのなによりの証明で、彼の最大の魅力は弱音にありだと痛感した次第。


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J.ブラームス:ドイツ・レクイエム

ずみさん:

◎ノリントン指揮 ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ ロンドン・シュッツ合唱団 92年(ERATO)

技倆と音楽が兼ね備わった唯一の演奏ではないか、と僕は思う。弦はもちろん、ノリントンのやりたいことをもう十分に理解している、LCP。ノリントンはシュツットガルトSWRでも録音しているが、こちらの録音のほうがよい。大体、ドイツ・レクイエムの質を決めるのは、ソプラノにラの音が初出する時でしょう。31小節目。Selig sindのさ。この音がないと、32小節目の和声の効果が出ないんです。それがなければブラームスではないのだ。だから、ダメな録音にはがっくり来るわけです(録音なのだから、継ぎ接ぎしてでもやってほしい←)。それはすごく厳しい基準だと思う。経験的にも。こんな音出るかよ、一瞬で飛ばせるかよ、という。まぁ、この録音はほとんど唯一そこがきれいに出ている盤だとおもいます。で、フーガも申し分ないし、なにより、アツいんです。演奏が。込めているものが違うのか、なんなのか。奇跡に近い録音だと思う(いや、こんなこと言うと失礼だと思うけれど。努力の結果なのはもちろんだけれど、音楽には神が宿るような瞬間がたまにあって、それがこの録音にはある、と言いたいのです)。主題に帰ってきた瞬間に、すべての伏線が回収され、曲は終結へと向かうのだ。そこで歌われる、共通した主題が「幸せであるよ」ということなのだ。なお、カップリングされているモツレクは、また版が違って面白い。アヴェ・ヴェルム・コルプスもよい。

○石丸寛指揮 東京交響楽団 栗友会合唱団 97年(BMGビクター)

ブラームスの考えるレクイエムは、生き残ってしまった者にどこまでも寄り添うことだと思う。これはその意思をちゃんと反映してるんじゃないかな、とおもう。ある指揮者のおすすめで買った。ちなみに31小節はおしいし、合唱として高度にできが良いわけでもない。でも、なにか訴えてくるものがあるのだ。とくにレクイエムのような曲にあっては、そういうのが一番大事だと思う。病気の身であった、石丸寛自身が「最後の演奏になるかも」と覚悟して乗った舞台だけに、そしてそれを周囲も知っていただけに、そういう思いが入り混じったのかもしれない。第6曲の後半のフーガあたりから神がかってくる。東京交響楽団の演奏だって、舐められたものではない。第1曲、第7曲は、主題を中心に設計すると思うけど、これに対する考え方は、ノリントンと対照的。どちらも、ブラームスの理解として正当だとおもうし、それが効果を挙げているという点で、この二つの録音を紹介した。最後の拍手の時に、もっともぞわっとくる。

もういくつか、次点を挙げるとすれば、ガーディナーか、ヘレヴェッヘがいいぞ(いつもどおり)。ちなみに、この曲にハマってから、ブラームスから離れられなくなりました。

2016年2月3日水曜日

W.A.モーツァルト:ピアノソナタ8番



◎リパッティ(50年、EMI)

中学の時にピアノのコンクールで弾いた経験もある曲だけど、当時はシフのCDしか持ってなかった(たしかピアノの先生ご指定のCDだった気がする笑)。自分で色々な演奏を聴くようになって電撃的な衝撃を受けたのがこのリパッティの演奏。特に目立った特徴があるわけではない演奏だけど、この曲の悲劇性が本当にうまく表現されているなと感銘を受けた。それもいたずらに悲劇性を訴えた演奏なのではなく、涙ぐんでも微笑みを絶やさないような、澄んだ青空がどこまでも寂しく感じられるような、そんな演奏。この曲はもともと短調で書かれているけど、このリパッティの方向性というのは長調で書かれた協奏曲27番などにも通じるピンと張り詰めた虚しさを感じさせる。演奏はどこまでも淡々と、しかし丁寧に、一音一音をテヌート気味に弾いていく。弱音の神経質な響きはリパッティならではだなあと思う。リパッティ本人も白血病で亡くなる直前の録音ということもあり、そこいらの普通の精神状態での録音とは重みが全然違う非常に厳しい表情を持った演奏。いまだにこの演奏を超える8番の演奏ってないんじゃないかなあ。永遠に語り継がれるべき名盤。

◯ケンプ(62年、DG)

今度はケンプお爺ちゃんの演奏。リパッティのような崇高な精神性を持った演奏ではなく、明るい日差しが差し込むかような温かみのある詩的なモーツァルトで、懐の大きさを感じさせる演奏。微妙なアゴーギクを使っていろいろな表情を巧みに作り出していて感心する。少し技巧的に弱いところが散見されるけど、これはケンプお約束の「精神性」である笑。精神性って何なんだろうね、よく思うけど。あと「いぶし銀」ね。下手くそな演奏に使われる代名詞のような言葉だ笑。それはともかく、リパッティを聞くとケンプが聴きたくなり、ケンプを聞くとリパッティが懐かしくなる。甘いものと辛いものの組み合わせは聞き出したら止まらなくなる。うーん、個人的にはこの2つは双璧。

◯シフ(80年、Dec)

中学のとき聞いた原点の演奏。シフなんて大真面目な演奏が多いし、音大生がレッスンのために参考演奏として聞く演奏者と長年切り捨ててきたけど、今回8番の記事を書くために聞きなおしてみて意外にもイケてるなと思った。いや、上位2つはすぐに決まったんだけどあともう一点がなかなか決まらずにね。。グルダと悩んだんだけど、グルダは13番15番にとっておこうと思いシフにした次第。演奏は至って真面目で左手の処理も教科書的だが、決して無味乾燥な演奏ではない。抑制の効いた感情表現も見受けられ好印象。


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J.ブラームス:交響曲第3番



◎クナッパーツブッシュ指揮ウィーンpo(58年、日本モニタードリームライフ)

クナのぶらさん。一部宇野こ◯ほ◯先生らが熱烈に支持している盤だが、たまたまこのドリームライフから出てる2枚組のCDが店頭で安売りしてたので買ってみたところ、これがとてつもなく良かった。まず3楽章を聴いてみると、冒頭から生々しい弦楽器の歌い回しにノックアウトされた。VPOだけに個々のビブラートがまざらないでそのまま聞こえ、ぞくぞくっとなる。ま、言ってしまえば官能的な演奏。そして、この指揮者のフレーズの取り方は大きいなあと痛感した。普通ならフレーズを収めて切る部分で、いやまだまだ終わってねえぞ!といった具合で、ぐいぐい続ける。むせび泣く弦楽器とでも一言でまとめておこう笑。3楽章でここまでこってり命かけてる演奏も珍しいと思う。1楽章などもppからffffくらいの猛烈なクレッシェンドをはじめクナの悪魔的表現がオンパレードで圧倒的。ちなみにくだんの大先生は50年のBPOライブを熱烈に推薦しておられて、クナのぶらさんの中で最上の出来と謳っているが、個人的にはこの58年VPO盤の方が上を行ってると思う。たしかに迫力という点では50年盤の方が上かもしれないが。そのほか44年BPO盤というものもあるが、こちらの出来はいまひとつパッとしない。

◯フルトヴェングラー指揮ベルリンpo(49年、EMI)

お次はフルベン。49年のBPOのライブ盤です。クナとフルベン、緩急自在のコテコテ派という点では共通しているが、両者は似て非なるものだと思う。クナは常に作品の外側から作品を見下ろし作品を手中に収めているのに対し、フルヴェンは内側から燃え上がり夢中になって振る。このぶらさんに関しても、まあ期待通りの熱演である。両端楽章は荒れ狂っており、BPOの重厚でドイツ的な荘厳な雰囲気が楽しめる。4楽章の盛り上がるところでは、楽譜にはないティンパニーが追加されていて効果絶大。3楽章はクナほど歌いまくってはいないが、濃厚なエスプレッシーボが炸裂している。

▲メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウo(32年、Ph)

大穴盤は大いに迷ったけど、大穴という点ではやはりメンゲルベルクかなと。とろけるVPOの弦が魅力のワルターのVPO盤(36年)、現代的な演奏ではあるが主観と客観のバランスが取れたジュリーニ盤(VPO、90-91年)、洗練される前のヤンカラ先生盤(63年BPO)など気に入っているけど、メンゲルベルクの面白さはハンパないのでチョイス。メンゲルベルクと言えば弦楽器が一斉にポルタメントをかけることで有名で、ぶらさんではその効果は大きい。特に3楽章は陶酔の域に入ってる。くらくら酔ってきますね。オケでポルタメントをかけると、バイオリンソロでのポルタメントとはまた一味違った味わいになるのが不思議。ソロとか室内楽でのポルタメントはお洒落、粋、ロマンチスト的な印象になるけど、オケでやると胸が締め付けられてキュンと痛むような虚しさを伴った雰囲気になる(もっともメンゲルベルクだからそう感じるのかもしれないけど)。これは病みつきになりますよ、ほんとに。1楽章とかもルバート多用でニヤニヤしちゃう演奏。

カラヤン BPO 88年(DG)

ブラームスという作曲家は本当に難しい。甘美さと、ある種の暴力性みたいなものを兼ね備えていないといかんのではないかと思う。いつも聴く指揮者がほぼ全滅である。そんな中、珍しくカラヤンが選ばれたというのに、てもさんとは一致しないという、これはなんか一種の不条理である。僕がカラヤンを選ぶことは殆ど無いと思う。とくに古典派ではありえないだろう(あったとしたらてもさんにきっと洗脳されたのだ(笑))。しかし、この曲のこの盤に限って言うと、心地よさが半端ではない。とにかく重厚だが、それに負けない高音の鋭さ、低音の広さ、そして完全にコントロールされたデュナーミクが魅力。すべてがよく絡みあって、造形していく。カラヤンにしてはガシガシとマッチョな演奏をしていると思うが、どうだろうか。そんなにカラヤンを聴いたことはないので、そこらへんはてもさんの意見をききたい。特に3楽章から4楽章の流れは他を寄せ付けない。唯一泣いた録音。3楽章のバスのピッチカートに支えられて木管と弦が奏でゆく音楽は、浜辺で夕日の中、寄せては返す波を見ているようで、いつまで見ていても飽きない、というような美しさがある。4楽章、Un poco sostenutoからの赦しの音楽、ともいうべきパッセージに、最後に現れる愛おしいばかりの主題に、そうだよねぇ、と頷くばかりである。高校の同級生のオススメで聴いた。

ガーディナー ORR 08年(Soli Deo gloria)

しょっぱなからクリアな音が聞こえる。エキサイティングだ。ティンパニが楽しい。当然だけれど、カラヤンとは全然聴くところがちがう。どこまでも解像感ゆたかな音のならびである。ピリオドピリオドっていうが、何が一番いいかといえば、転調した時の劇的さ、だと僕は思う。平均律ではないからこその劇的さがあるのだ。まぁ、僕の知っている中でピリオドでブラ3やってよかったね、っていうのは今のところこれだけであるな。透き通る音色はORR独特のもの。4楽章に劇的さを求めるならば、この一枚もオススメ。この盤には、モンテヴェルディ合唱団の歌うブラームスがカップリングされているが、モンテヴェルディ合唱団の素晴らしさがよくわかる録音で、盤全体としてもオススメ。たぶんいちばん長い間聴いていた録音。発売直後に手に入れた、ハズ。

ヴァント ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 55年?(BnF)

モノラル録音で、そんなに音質も良くないのだけれど、キラリと光るものがあるので。なんかことブラームスに関しては、価値判断基準がすごくズレる気がする。 木管、とくに抑制的なファゴット、ホルンがいい味を出している。前に紹介した2つを聴いてから聴くべきでは、ない。緩徐部分での蠢動する感じとか、淡々と刻んでいく様子などは逆に清々しい。4楽章の3連符の領域はヴァントの真骨頂だと思う。あと252小節のチェロがよい。やはり3番はメリハリのある演奏が好きなのだな、という再発見のためにあるような一枚。

でもまぁ、左の人とはちがって、総じてしゃっきりとした演奏が好きですね。

2016年2月2日火曜日

L.V.ベートーヴェン:交響曲第1番



◎カラヤン指揮ベルリンpo、75-77年、DG

しょっぱなからヤンカラ先生です笑。こちらヤンカラ大先生の大ファンでして。。ご容赦くださいまし。ベト1の中でももっともロマン派に近い演奏なんじゃないかなこれは。透明感のある豊かな音色の金管と弦が分厚いゴージャスなBPOサウンドで、すべての音符をテヌートで演奏するカラヤン美学が貫かれた美演。ぼくの大好きな1楽章の「れそーふぁみれどー、らーふぁれどしー」の旋律、だいたいどの指揮者も「れ」と「そ」の間を切って演奏するけど、ここは「れーそー」とレガートで演奏するべし!!!!カラヤンレガートをたっぷり楽しめる演奏です。時代錯誤感が半端ない快演(古典的な真面目なベートーヴェンファンには怪演??!)。

◯バーンスタイン指揮ウィーンpo、78年、DG

今度はバーンスタイン。ようやく万人受けするまともな演奏をご紹介。こちらはレニーらしい躍動感が魅力のベト1。序奏から主題にはいる部分の「そふぁみれど」が印象的。ウキウキするような演出。バーンスタインのベートーヴェンはあとのナンバーになるにつれて似合わなくなるけど、1番2番あたりはイケてると思う。

◯フルトヴェングラー指揮ウィーンpo、52年、EMI

大御所フルベン大先生でございます。さすがに古いかな、ほかの演奏の方がいいかなとも思ったけど、これを書く前にもう一度聞いてみて、やっぱフルベンにしよって思った。冒頭のピチカートのズレ。フルベンならではです(もっとも低弦は少しタイミングを早めて演奏するというのはオケ界では常識だが)。このズレによって響きに厚みが増すし、フルベン自身もその効果を狙ってわざとわからない指揮を振っていたという説もある。そして、主部に入って加速し盛り上がってクールダウンするところでのテンポの緩みが効果的。その後再び加速し・・・を繰り返す。うーん、やはりテンポは曲の中で変化してしかるべきものだなあ。ヤンカラ先生と並んでロマン派のベートーヴェン。


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2016年2月1日月曜日

F.プーランク:ヴァイオリンソナタ

てもさん:

◎ジュイエ(vn)、ロジェ(pf)、94年(Dec)

プーランクのヴァイオリンソナタというちょっとマイナーな部類の作品。プーランクと言えばやはりピアノ曲。フランスのエスプリといった感じの小粋な小品が並ぶ。一方でヴァイオリンソナタはというと、冒頭だけ聞くとなんだか妙ちきりんな曲に聞こえて当時のぼくは危うくCDの演奏を止めそうになったけど、途中からはメロディーメーカーとしてのプーランクの側面が出てきて意外にも聴きやすい作品だと思う。演奏は2種類チョイス。まずはジュイエ盤。シャンタル・ジュイエはモントリオール響のコンミスで、デュトワと結婚したとかなんとか・・笑。ぼくもこの演奏で初めて知ったヴァイオリニストだけども、まさに女流!って感じの演奏で、なかなか艶っぽい演奏をする。他の演奏者ならさらっと楽譜通り流すところも、レガートで粘っこく歌ったり、絶妙な音程感覚と濃厚なビブラートで危うい美しさを表現したり。でもあくまで線は細いので、濃厚なんだけど、野暮ったさは皆無。とまあ、ザ・おフランス的な演奏です。ぜひお試しあれ。

◯スーク(vn)、パネンカ(pf)、67年(Sup)

お次はスーク。洗練されたジュイエ盤に比べれば、こちらはちょいと野暮ったさの残る演奏。でも、67年という録音年だし、まだ現代風の演奏の台頭の黎明期でもあるので、こんなもんっしょ笑。フランクのヴァイオリンソナタのカップリングで付いてきた曲。最初はフランクのおまけみたいに考えてたけど、肝心のフランクはあんまり琴線に触れなかったので、仕方なくプーランクを聞いたら当たりだったというオチ。スタイリッシュな演奏ではないけれど、ちょっと不思議な感じのする(きもち現代音楽的な)運動的な部分よりもプーランクの美しい旋律に焦点を当てた演奏で、彼のビビッドな美音も相まってユニークなプーランクになっていると思う(国籍不明の感はある笑)。
しかしこれを読んでくださっている方(いればの話だが苦笑)の中には、なぜ五嶋みどりを挙げないのかと見識を疑う方もおられるかもしれませんね。amazonでもかなりの高評価を得ているようでして・・買ってみたんだけど、どうも計算づくの感があるんだよねー。なんかとても窮屈で一瞬でこれは違うって思ってそれから聞いてない^^ゞ

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲

ずみさん:

グールド 81年(Sony)

古臭い、カビの生えた、というようなバッハのイメージを塗り替えたのが、グレン・グールドだ。グールドのゴルトベルクは、その「就寝のための音楽」という構想をまったく無視しきって、表現力豊かに、音楽として色鮮やかに塗り替えてしまう。グレン・グールドの鮮烈デビューとなった録音は、下で紹介する55年のもの(実は二番目の録音ではあるが)だ。55年の演奏が、驚きに満ち溢れたものであるとするならば、この81年録音は、技術に裏打ちされ、円熟味をともなった表現力が、より音楽としてのバッハを際立たせる。ちなみに聞こえる声は仕様。慣れると、ここに注目すべきなのか、という指標にもなって面白い。第1変奏の驚きは、何者にも代え難い。第26変奏以降は圧巻だし、最後のアリアは、涙なしには聴けない(※個人の感想です)。高校生の僕が、好きだった人に紹介された盤という意味でも思い出深い。

武久 94年(ALM)

愛聴盤。この人のCDを集めたい、と思いながら、それができていないんだよね。一番心揺れる、ゴルトベルク。アリアから第一変奏に入った時に、ぞわ、ってなる。拍頭が先行するのではなく、遅らせるというスタイルは、てもさんのそれに似ているとも思うんだけれど、彼はこの曲をそもそも聞かないらしいから、本当に残念。究極のやさしさをもった演奏だと思う。最後のアリアまで、心が動かされつづける。そして、だばあ、となる(※個人の感想です)。武久先生は、この2月にもゴルトベルクの録音を出すらしく、それも楽しみ。

グールド 55年(Sony)

81年を聴いたら、こいつも聴いてみてほしい。というか、81年より前にこちらを聞いて、81年の表現に酔いしれてほしい。同一人物の演奏とは思えまい。しかしバッハの理解としてはこちらも面白い。高速に進行していく曲は本当に子守唄(?)のそれではない。こちらの盤ではじめに興奮できるのは、第5変奏だと思うけれど、それに続く第6変奏だってエキサイティングだ。だってこの展開の仕方すごい。とくにてもさんのようなピアノ屋さんには聴いてほしいなぁ(笑)。第10変奏とかもわくわくするよね。なんか身体がうごいちゃう。もともと舞曲であるはずなので、この感覚は正しいかもしれない。ヴィルトゥオーゾが活躍する、眠くないバロック観という新時代の嚆矢の一つは、確実にこの人が放ったろう。

レオンハルト 76年(DHM)

グールドに先行すること2年、グスタフ・レオンハルトは最初のゴルトベルク録音をしている。そのあとが、65年、最後が76年。みんなすごく違う演奏で、これも遡りがたのしい。76年の録音は、とくに創意に満ちていると思う。第12変奏が好き。あと27変奏は、これが一番好きだなぁ。刻んでいくような第30変奏も好き。抑揚があるが、落ち着いた録音が好きなのかもしれない。65年は、76年に近い。53年は、曲想のとおりちゃんと眠くなるのだが、それでいいのだろうか、、、とも思わないではない(笑)。あと、53年はそもそもイヤホンで聞くのに向かないんだよね、チェンバロの音がキンキンで。スピーカか、ローパスフィルタがほしいw この人もよく聴いてると、意外と声が入っちゃう人。声が入る人、結構好きなんだよねぇ←

ところで、ピアノ屋さんであるてもさんがヴァイオリン曲を先に書いて、ヴァイオリン屋の僕がピアノ曲を書くというの、なんか(笑)