2016年5月7日土曜日

W.A.モーツァルト:ピアノ協奏曲20番


てもさん:

◎ゼルキン(Pf)、セル指揮コロンビアso、61年(CBS)

ゼルキンによる実直でストレートな演奏。短調のこの協奏曲の激しい感情を実によく表現しており聞いていて大変心地よい。まさに「疾走する悲しみ」とはこのことである。同時にストレートな表現だからと言って無味乾燥な表現に陥ることなく、常に温かみのある上品な音色で弾かれる丁寧なフレージングは好感がもてる。ゼルキンには80年代になってからもアバドとの同曲の録音があるが、切れ味はセルとの旧盤の方が勝っており、その集中力と完成度の高さ、ひたむきに静かに燃える感情の表出という点において圧倒的に旧盤のほうが充実していると思う。セルの指揮もきびきびとしており、その清潔な響きはゼルキンの生真面目で一途なピアノに相応しく、引き締まった印象を与えている。

◯ワルター(Pf、指揮)、VPO(37年、EMI)

ワルターのピアノによる本人の弾き振りという珍しい一枚。ワルターのピアノはほとんど聴く機会がないと思うが(残っているものってたぶんこの協奏曲ぐらいではないかな)、この30年代のウィーンフィルを振っていた時代の彼の指揮のなんとも言えないウィーンの優雅な香りと洒落っ気をそのままピアノで体現したような詩情溢れるピアノは注目に値する。バックを務めるのはもちろんウィーンフィルで、とろけるような弦楽器の豊かでなめらかな音色とワルターの力まない草書体の演奏が大変よくマッチしている。ワルターってピアノとてもお上手なんだなと改めて感じたし、こんな演奏をできる現代のピアニストっているのかなとちょっと考えてしまった。さらりと一筆書きで描いた(ように聞こえるくらい力の抜けた)素敵な演奏である。

◯グルダ(Pf)、アバド指揮VPO、74年(DG)

そしてやはり最後はグルダです。この曲ではベスト盤に挙がるくらいの有名な録音。強靭なタッチと確信に満ちた表現で聞き手を圧倒する存在感の大きい演奏で、切ったら血の出るようなギリギリの精神力で弾いているような他を寄せ付けない異常なまでの張り詰めた緊張感がある名演。ピアノソナタを含めてグルダのモーツァルトはそういう意味で他では真似のできない厳しい表情を持った演奏が多く、その解釈はこの曲においても非常に正鵠を得たものとなっている。ただ、なぜかこの協奏曲ではピアノソナタなどでの説得力がそこまでは感じられない。ピアノソナタではそのような表現になるという必然性が確信を持って示されているように思えたのに、この演奏ではなぜそういう解釈をした?というような部分がなきにしもあらずで、個人的には演奏上悪い点は見当たらないにも関わらずぶっちぎりの本命盤になってない・・この理由はなぜかはちょっと今のところわかってないケド。。
ずみさん:

▲CDタイトル

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